佐久間ヒロコさんに高円寺フェスの話を聞く

高円寺の秋を彩る祭典「高円寺フェス」最大の特徴は高円寺の街に根ざしたお店が積極的に参加していること。2007年の開始以来、運営に携わる佐久間ヒロコさんへのインタビューを通して、高円寺フェスがいかにして街や住人に受け入れられ、楽しみにされるイベントへと成長していったかを紹介します。

SHOW OFFの発行が高円寺フェス開催へとつながる

-佐久間さんは板橋の出身とうかがっています。どういった経緯で高円寺に?

佐久間:元々、古着の卸しをやっていて、ある時自分でも古着店を出店しようと考えたんです。高円寺には4、5軒知り合いのお店があり親しみがあったので、高円寺にお店を出すことに決めました。それが1995年の話です。

-いまでこそ高円寺は古着の街といわれますが、当時は?

佐久間:古着店はそれほどなくて、中古レコード店や古書店が多かったですね。高円寺の街って中古と相性がいいと思ったのも、高円寺に出店する決め手でした。

-現在、佐久間さんは高円寺のお店を紹介するフリーペーパー「SHOW OFF」も発行されています。

佐久間:2000年に「ホットワイヤーカフェ」という飲食店を出店するにあたり、お店のフライヤーを作ることにしたんです。当時は現在のようにチラシを簡単に作れるアプリやサービスがない時代でしたが、私にはデザイナーやフォトグラファー、ライターの仲間がいましたし、印刷会社にも知り合いがいました。そこで「せっかくならかっこいいものを作ろう」と盛り上がって、フライヤーではなく冊子を作りました。

-第1号の制作で思い出に残っていることはありますか。

佐久間:まだデジカメではなくフィルムカメラで撮影をしていたので、現像代が大変でした。36枚撮りフィルムを10本も使うと、現像代もその分かかりますから、フォトグラファーに「たくさん撮るな!」って(笑)。

-高円寺フェスの開催はいつごろから考えはじめたのですか。

佐久間:SHOW OFFの発行を続けるうちに、イベントを行いたい気持ちが高まって。合言葉は「高円寺でフジロック」です。そこでSHOW OFFを作っていた仲間たちと一緒に高円寺の野外でイベントができるところを探し始めました。

-うまく探せましたか。

佐久間:それがさっぱり。そこでSHOW OFFでつながったお店の皆さんと一緒にやろう、お店を見てもらうイベントにしようと考え直したんです。高円寺にはJR中央線の高架を挟んで南北にそれぞれ個性のある商店街が広がっています。高円寺フェスは南北や商店街の違いに関係なく、高円寺の全域から76店舗に参加してもらって、お店を巡るイベントに仕立てました。高円寺の街全体を巻き込んで開催できたのは大きかったと思います。

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熱意があふれる高円寺フェスの参加店

-第1回に参加した76店舗はどんなお店だったんですか。

佐久間:当時としては新しい、若者のお店が多かったです。

-参加したお店で印象に残っていることは?

佐久間:とにかく熱意がありましたよ。スタンプラリーの景品の提供をお願いしたら、どのお店も随分張り切ってくれて。例えばジュエリー店ならシルバーアクセサリー、洋服店なら洋服をというように、素晴らしいものを提供してくれました。それはみんなが高円寺フェスを本当に盛り上げよう、成功させようという気持ちでいてくれたからです。高円寺でお店を開く人たちの意識の高さを感じました。

-お店としてもアピールになりますしね。

佐久間:とにかく街を歩いてお店を見てもらうというのは、高円寺フェスの変わらないテーマですね。

-2019年までの高円寺フェスで、転機になった回はありますか。

佐久間:結構昔に遡って、第3回(2009年)かな。高円寺フェスの運営費用を集めるため金策に回る中で、国に相談に行ったら補助を受けられたんです。運営費で見れば第2回までの数百倍の規模に拡大したので、ちゃんとしたイベントにしなきゃいけないと、必死になって内容を考えて実施しました。

-イベントは開催をやめるのは簡単でしょうけど、続けるのは大変ですよね。

佐久間:SHOW OFFも高円寺フェスも、続けることにすごく意味を感じています。高円寺フェスの開催は苦しい時期もありましたけど「また来年もやりたい」「またやってほしい」という人たちが参加してくるイベントに成長させられたのはよかったと思います。

「南北綱引き」で高円寺をもうひと盛り上げしたい

-2020年以降のコロナ禍での開催についてもうかがいます。当時、イベントが軒並み中止になるなかで、高円寺フェスは開催されました。佐久間さんは高円寺フェスの開催について心配していましたか。

佐久間:私は普通にやればいいじゃんと思ってました。駅前プロレスなど、一部のイベントは取りやめましたが、できればもっと従来どおりやりたかったです。

-そのためか、実はコロナ禍での高円寺フェスが印象に残っていないんです。

佐久間:でも来場者数は落ちてないんですよ。だから、参加してくれるお店のことを思えば、やるべきイベントなんですよね。お店が参加できるお祭りにすることが大事なので、開催を止めることはせず、やれることを最大限にやるようにしました。

-2023年の高円寺フェスの見どころは?

佐久間:「ぐるカップ」というはしご酒イベントをやってましたが、コロナ禍では控えめにしていました。今年は参加店舗を広げて、高円寺の街を練り歩いて、いろんなお店をもっともっと知ってほしいですね。

-佐久間さんの高円寺のお店に対する愛情をとても感じます。高円寺フェスの開催前後で街の雰囲気が変わったなと感じることはありますか。

佐久間:圧倒的に若い人が増えましたね。高円寺フェスのおかげとはいわないですけど、古着店が増え、高円寺のおもしろさに気づき、住む人が増える。そして高円寺フェスを楽しむというように全部連鎖していると思います。

-今後、高円寺フェスでやってみたいことは?

佐久間:「南北綱引き」をやりたいんですよね。高円寺フェスでスポーツを取り入れたイベントをやりたいとずっと思っていて。中央線の高架を境に南北の街を代表するチームに別れて、高円寺の南側と北側、どちらが魅力的か雌雄を決してもらおうと思います(笑)。

-どちらが勝っても高円寺の魅力は不変ですが、この際決着をつけてもらいましょう。今日はありがとうございました。

取材:水野二千翔(高円寺工房) 撮影:みやざとみなみ

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※本記事に掲載している情報は2023年09月15日公開時点のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。