ひとり古墳部スソアキコ×暗渠マニアックスと歩く善福寺川

暗渠を歩き、善福寺川を下る

では今度は、善福寺川の下流、和田堀方面に向かいましょう。

揚げ堀を歩きます。揚げ堀は、台地(高地)と川(低地)のちょうど境となる部分に位置しているので、その境を常に意識しながら歩けるのが楽しみのひとつ。

高地は宅地となり、その高低差の崖は擁壁などで保護されます。高山さんの解説によると、ここは自然石や解体したコンクリート、煉瓦の破片などを組み合わせたガンタ積みという工法が採用されているそうです。

引き続き善福寺川沿いを進みます。この道も善福寺川の揚げ堀、すなわち用水路跡。このような細い道をあえて選び、クネクネを味わって川を感じながら歩くのも、こうした散歩の醍醐味です。

道中、縄文時代・古墳時代の土器等が発見されたという成宗白山神社を通ったり。

再び金太郎と出会ったり。ちなみにこれは枠が白く、現存する金太郎としてはレア度が高いそうです。

さらに歩みを進めると、釣りや食事が楽しめる武蔵野園が目の前に見えてきました。レトロな雰囲気で都内でも有名なスポットですね。

この界隈で古代にタイムスリップするには、ここを訪れないわけにはいきません。松ノ木遺跡です。武蔵野園の東側の小高い丘にある遺跡で、これまで見てきたような、川沿いの高台=古代人の生活拠点ということがとてもわかりやすく理解できる場所です。

ここで旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代の長期にわたる遺構が見つかっており、区内でも最大級の複合遺跡です。特にこうした古墳時代の住居が象徴的に復元・設置され、内部では土器を使って米を蒸す様子などが再現されています。ちなみに暗渠マニアックスのおふたり、近くの暗渠を何度も歩いていても、ここに来るのは初めてだそうです(下ばかり向いてるから、とのこと!)。

こちらは古墳時代後期(およそ1,500年前~1,300年前:5世紀~7世紀)の竪穴式住居址。この台地に来るとかなり広々と感じますが、見つかった住居址の数から大規模な集落があったと推定されているので、集団生活に必要な条件も周辺に豊かに揃っていたのだと想像できます。

古代からの聖地、大宮八幡宮を訪ねる

さあ、今回のハイライトでもある、大宮八幡宮にやってきました。1063年に開かれ、広大な敷地を有し今では東京23区内で三番目に広い神社であること、東京の「へそ」となる場所に位置することなど知名度も抜群ですが、古代より大いなる聖地としてあり続けてきた威厳ある場所です。そうした痕跡を確かめるため、長い参道を噛みしめるように歩きます。

最初に詣でる先は、清涼殿の中でガラスケースに保存されている出土品の展示です。境内北側の大宮遺跡と呼ばれる一帯や、先ほど訪れた松ノ木遺跡で発掘された遺物が並び、当時の報道記事などと合わせて見比べることができます。

小さな石斧なども、丁寧に陳列されています。

何度もこちらに足を運んでいるスソさんから、遺物の形状の特徴などの説明を受ける暗渠マニアックスのおふたり。

清涼殿を後にして、大宮遺跡の発掘地にあたるエリアへ。ここではこのような看板が設置され、族長の墓とみられる方形周溝墓(弥生時代末期)が見つかったこと、一帯が住居でなく祭祀が執り行われていた場所であったことなどが解説されています。

大宮遺跡にたたずみ、善福寺川を見下ろすお三方。さらにその奥が松ノ木遺跡にあたりますが、川を挟んで対岸の松ノ木遺跡で多くの住居跡が見つかったのに対し、こちらの大宮遺跡では墓地や祭祀の跡が残されていました。看板にも記されているように、当時の人々のあいだにそれらを明確に区分する意識があり、同じ高台でも存在の仕方が異なっていたことがわかります。

散歩の後に吉村さんが調べたところによると、松ノ木遺跡の台地よりも、こちらの大宮遺跡の台地のほうがやや標高が高いのだそうです。「松ノ木に住んだ人々は、墓地を見上げる=先祖に見守られているという感覚を持って暮らしていたのでは。また、大宮遺跡側は、崖が切り立ちすぎて水へのアクセスもあまり良くなく、「生活」するならやはり松ノ木遺跡側だったのでは」といった鋭い感想をいただきました。大宮八幡宮の最寄りは井の頭線西永福駅ですが、そこから平坦な道を歩くだけでは見えない凹凸の世界が今回は見えた気がします。

大宮八幡宮
住所 杉並区大宮2-3-1
電話 03-3311-0105
御祭神 応神天皇(オウジンテンノウ)、仲哀天皇(チュウアイテンノウ)、神功皇后(ジングウコウゴウ)

杉並区立郷土博物館で散歩を総括

散歩も大詰めを迎え、総括も兼ねて杉並区立郷土博物館へ。かつて杉並に暮らした様々な時代の人々や歴史に触れてから来たので、「郷土博物館」としてこの地にあることがとてもふさわしく感じられます。

今回ご案内いただいた、学芸員の金子さおりさんです。

常設展示室の導入、地形模型を使って話を聞きます。ボタンを押すと、杉並の各地に散在する遺跡が光る仕掛けとなっていて、川沿いに多く広がっていることが一目瞭然です。小学生の課外授業でも人気のコーナーだそうです。

展示はこのように、我々がテーマのひとつにしてきた古代から始まります。

神田川沿いの下高井戸塚山遺跡で発掘された縄文土器もずらりと並べられています。

「井草式土器」と、杉並の地名を冠された名誉ある(?)遺物の複製も飾られており、ちょっとした目玉となっていました。ちなみにこの井草式土器片は、最初に訪れた尾崎熊野神社の境内からも見つかっているそうです。

近現代のコーナーには、天保新堀用水もしっかりパネルで紹介されています。トンネルの写真は今まで見た中でもこれが一番鮮明!と盛り上がっていました。

用水の絵図の複製も、貴重な資料として展示されています。天保新堀用水が青梅街道を越えて、高円寺まで流れていることが描かれています(今回のルートの下流側)。

杉並区立郷土博物館(本館)
住所 杉並区大宮1-20-8
電話 03-3317-0841
開館時間 9:00~17:00
休館日 月曜、毎月第3木曜(祝日・休日の場合は翌日)、12月28日〜1月4日

さて、博物館を出て最後にやってきたのは、今は公園や学校となっている広大な済美台(せいびだい)遺跡。尾崎台地のように、川が大きく屈折したところにできた舌状の地形で、ここでも旧石器・縄文・弥生・古墳の各時代の遺物が発掘されています。

ここでもスソさんのメモ入り地図を見ながら、道程や位置関係を確認します。

ということで、あとは散歩の終着地とした丸ノ内線方南町駅までクネクネと旧善福寺川暗渠を歩き、今回はこれでおしまい(地図を見ると、善福寺川の両岸のすぐ近くに、他にもクネクネした道=用水路跡?がいくつか見つかります)。あいにく足元が悪く、行きたくても行けなかった場所もありましたが、桜だけじゃない善福寺川のポテンシャルを大いに感じられた散歩でした。ぜひ皆さんも、天気の良い日にこのルートを歩き、様々な時代の空気を想像しながら深い歴史を味わってみていただければと思います。

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※本記事に掲載している情報は2021年03月12日公開時点のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。