散歩ルート
阿佐ヶ谷に造詣が深い、アニメーション監督の大地丙太郎さん。ひとたび昔の話を語りだせば、抱腹絶倒かつディープな話が止まりません。今回は、大地さんにとっての「昭和の思い出の地」を、懐かしくたどる散歩に出かけました。
散歩は、中学生の頃の大地さんのテリトリーであった、成田東の善福寺川付近からスタートです。ちょうど木々も色づき、絶好の散歩日和。中学の下校時には、みんなで川沿いをわいわいしながら通って、あちこち寄り道することも多かったそうです。 現在、尾崎橋のたもとに建つマンションの所には、当時、「大田計器製作所」という会社がありました。「“おおたけーき”と言えばみな一発でわかるっていう。でも、あそこなんだろねって謎でした。よく見りゃ(看板に) “計器”って書いてあるから、なんか機械作ってるってわかるのに」
区立東田中学校
善福寺川沿いから少し入り、大地さんが通われていた東田中学校へ。懐かしい!と言われるかと思いきや、「あーほとんど記憶にない」。聞けば、校舎は建て替えられているとのこと。途中の路地をのぞいて「あっ、ここでバイトした!」と、そちらの方が懐かしそう。
東京ムービーと小林プロダクション
善福寺川に戻って緑道をさらに進むと、古そうなビルが見えてきました。「中学の頃、ここは東京ムービーのビルだったんですよ。“アタックNO.1”を放送してた頃に見学に行きました。隣に小林プロっていう背景をやってる会社があって、それも味わい深いビルだったな」。小林プロダクションは残念ながら駐車場になっていましたが、東京ムービーのビルは、増築されて少し外観が変わっているものの、いまだに健在。現在は賃貸物件になっているようです。
ビルの東側の道は、拡張される前は善福寺川に通じる細い路地でした。「そこにドラム缶が置いてあって、セル画が無造作に捨ててあったもんだからワクワクしましたね」。当時、東京ムービーは、杉並区第1号のTVアニメ「オバケのQ太郎」を手掛けていた頃。今では考えられない大らかな時代です。
※東京ムービーについては、下記の記事に、詳しい説明や当時のビルの写真が掲載されています。
中央線あるあるPROJECT「東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアム新館長に聞く」
すぎなみ学倶楽部「アニメ黄金期と東京ムービー」
阿佐ヶ谷住宅
さて、東京ムービーのビルの前には、現在、プラウドシティ阿佐ヶ谷が立っています。ここは、かの有名な阿佐ヶ谷住宅があった場所。昭和33年に日本住宅公団が分譲した集合住宅で、当時としてはおしゃれなテラスハウスが多くのファンを生みました。阿佐ヶ谷住宅が大好きだったという大地さん、令和5年の6月まで開催しているスギナミ・ウェブ・ミュージアム「阿佐ヶ谷住宅の記憶展」にも、たくさんの写真と思いを寄せてくださっています。今回は、当時を思い出しながら周辺を歩きます。
プラウドシティ阿佐ヶ谷には、阿佐ヶ谷住宅時代の木が何本か残されています。鎌倉街道沿いにあるこの大きなケヤキの木もその一つ。他の木々の中で飛び抜けて大きく、当地を見守ってきた歴史を感じさせます。
続いて、かつて給水塔が立っていた場所へ。跡地には道路が新設されていますが、大地さんが立たれている所は、残余地になりました。阿佐ヶ谷住宅のシンボル的存在だった給水塔。大地さんも訪れるたびに、必ず写真を撮られていたそうです。
道なりに進むと、区立成宗さくら公園に出ます。その前に立つ電柱に付けられたNTTの支線標識に「公団支」の名前が! こんな所にも、かつてここが公団であったことの名残があるんですね。「おっ、これはいいですね!電柱とか電線とかも好きなんですよ」
その近くの歩道には、突如現れる数字の「48」が。「えっ、もしかしてこれは!」軽く興奮気味の大地さん。そう、これは、かつてこの辺りに48号棟があったことを示す数字なのです。プラウドシティ阿佐ヶ谷内には、全てではないものの、ほかにもいくつか住棟番号が敷設されています。番号が続いて埋め込まれた小道もあり、通り抜けるとちょっと感動します。
※阿佐ヶ谷住宅については、下記の記事に詳しい説明が掲載されています。
すぎなみ学倶楽部「伝説を残した阿佐ヶ谷住宅」
昭和の思い出の跡地へ
ここからは、阿佐ケ谷駅周辺の思い出の場所をめぐります。駅への道中、先ほどの「電柱が好き」から、ひとしきり電柱・電線の話で盛り上がりました。
以前、電柱がいかに景観を破壊するか、と北斎の「富嶽三十六景」の赤富士に電柱や電線を描き入れたイラストが公開された時、逆にかっこいい!ってなった話や、「電線が輪っかになっているのを“巻きだめ”って言うんですよ。あれも職人技でアートだね」などなど。路上観察系の守備範囲が広い大地さんならではの話が飛び出します。
青梅街道の杉並区役所近くで、なにやら古そうなマンホールのふた発見! 「この真ん中の文様は東京の“東”だね」。さすが大地さん。これは、昭和6年から昭和18年まで使われていた東京府章です。戦時中の鉄不足により、日本で初めて考案された下水道用コンクリートのふたといいます。東京府なんて古いものがいまだに残っているとは!
旅館利女八 (とめはち)
今回の散歩企画のきっかけになったのが、大地さんの「昔、阿佐ヶ谷に利女八って旅館があってね」という思い出話でした。受験生も利用する旅館ではありましたが、仲間とは「利女八殺人事件」なる架空ストーリーを作っていろいろと妄想していたとか。
また、昭和47年に放送された「ど根性ガエル」(東京ムービー制作、小林プロダクション小林七郎社長が美術監督)には、利女八の広告が張られた電柱が出てくるそうです。それに触発された大地さんは、自身の監督作品「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」のオープニングで、利女八広告付き電柱からのぞくマサルさんを登場させました。いろいろ逸話がある利女八ですが、今は取り壊されて敷地も分割され、一部が駐車場になっています。
Jazz Room吐夢
続いて、大地さんがよく通われていたJazz Room吐夢へ。阿佐ヶ谷のジャズの走り的存在で、「居心地のいいところだった」。ママが阿佐ヶ谷住宅好きで、常連さんが撮った写真集を店内で売っていたり、取り壊しが決まってる頃ついに住んでしまったりしたほど。「1回遊びに行くねって言っているうちに取り壊されちゃって、とうとう見られずじまいでした」
ぽえむ阿佐ヶ谷店
吐夢の先のJR高架下をくぐった所には、ぽえむという喫茶店がありました。大地さんがはまったという永島慎二さんの漫画『若者たち』の舞台にもなった店です。大地さんにとって、永島さんは「自分の人生に大きな影響を与えた漫画家さんの一人」。ぽえむには、永島さんをはじめ個性豊かな人たちが集まり、当時の阿佐ヶ谷には、そうした独特の文化があったと懐かしみます。ぽえむ阿佐ヶ谷店は昭和41年創業。昭和63年に惜しまれつつ閉店しましたが、現在もぽえむは全国でチェーン展開しており、杉並区には高円寺店があります。
珈琲プチ
ぽえむから、永島慎二さんの自宅があったという現ラピュタの裏を回って、もう1軒思い出の喫茶店へ。珈琲プチ。大地さんが監督・絵コンテを担当された作品「アニメーション制作進行・くろみちゃん」 の「スタジオプチ」のモデルにもなった店です。看板に1947とある通り、昭和22年に創業。大地さんが初めて連れてきてもらった時は、「カッコよすぎる!」と感激されたそうです。打ち合わせやインタビュー取材でよくここを指定し、「初めて連れてくる人が、自分と同じ反応するのが楽しかった」。阿佐ヶ谷文士村の面々も通っていた、というすごい歴史を持ちながらも平成20年に閉店。現在は、オーナーの娘さんが開いた同名の店が吉祥寺にあります。
夕暮れは阿佐谷けやき公園屋上で
陽も暮れ始め、空がとてもいい感じになってきました。ずっと歩き続けてきたので、休憩も兼ねて、令和4年にリニューアルオープンした区立阿佐谷けやき公園の屋上部へ。
「ここ前はプールだったよね」と言われる通り、以前はプール併設の公園でした。その跡地に区立阿佐谷地域区民センターが建ち、その前面と屋上が公園になっています。
エレベーターの屋上階を降りると、どーんと広がるパノラマ! 遠くには東京スカイツリーや丹沢の山々が見え、眼下をJR中央線や総武線が走ります。子供たちも大はしゃぎ。
陽が暮れると、素晴らしいマジックアワーに。屋上部は21時までオープンしているので、夜景スポットとしてもおすすめです。
- 区立阿佐谷けやき公園
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住所 杉並区阿佐谷北1-1-1 電話 03-5356-9501 営業時間 09:00-21:00 休業 第2火曜、年末年始(12月28日~1月4日) 参照リンク 区立阿佐谷けやき公園(すぎなみ学倶楽部)
カフェ ぎおん
散歩の締めくくりに、大地さんが通いつめたというカフェ ぎおんへ。迷わず、ウィンナーコーヒーを注文。「ここのコーヒーのこの苦さが大好き。のっかっている生クリームがまたよいんです」。創業昭和55年のノスタルジー漂う名店。こだわり抜いた内装に目を奪われます。古き良き喫茶店が次々なくなっていく中、こうした店が残っていることは本当にうれしいですね。途中で店主の関口さんも加わって、貴重なお話をたくさん伺い、楽しいひとときを過ごすことができました。
- カフェ ぎおん
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住所 杉並区阿佐谷北1-3-3川染ビル 電話 03-3338-4381 営業時間 09:00-24:00 金曜・土曜 09:00-25:00 休業 年中無休 参照リンク カフェ ぎおん(すぎなみ学倶楽部)
最後に、大地さんに今日一番懐かしかった場所を尋ねると、「利女八!あと、阿佐ヶ谷住宅の住棟番号もよかったなー」。もう残っていない場所も多かったのですが、あらためて、昭和ってよかったよね!と実感できる散歩でした。
取材:立岡涼 Mark Hill